こんにちは!管理人の林です!
上原投手って、巨人の看板選手でもありましたし、メジャーでも忍者と言われて、活躍されていましたよね。
私が小学生の時は、巨人の名投手として、ずっと記憶に残る人ですね!
浪人も経験するもプロの道に進む
当時、ドラフトで話題となっていたのは、横浜高校で活躍した、松坂投手で、巨人ファンだった私からすると、松坂投手が来てくれたらうれしいなと思っていたで、、、
その時は上原投手のことは何も知りませんでした。
背番号19、19歳の時のことを忘れないためだろうと思うのですが、東海大仰星高では控え投手で、体育の教師を目指して大体大を受験するも、不合格。
浪人として過ごしたのが19歳だった。最近は大学受験で浪人することも少なくなったようです。
体も鍛えておいたほうがいいと考え、トレーニングにも励み。小社刊の『ノーラン・ライアンのピッチャーズ・バイブル』も、むさぼるように読んだようです。2.3年浪人生活もされたようで、1年間は野球をしていなかったそうです。
そこから、野球部に入り、大学で、好業績を納め、プロに入られます。
プロで活躍されている方もいろんな方がいますが、大体の人は高校野球で、活躍し、その後プロに行かれている方がほとんど。でも上原投手は他の人とは違って、回り道をしながらでも、プロの道を選んでいきます。
この時って、スポーツ選手なら、今後の進路についても、結構悩むと思うんですよね。
諦めて、会社でサラリーマンになろうか、それとも、違う道を探すのか・・
諦めずにプロ野球の道を選び、そこから、活躍されているわけですから、思い入れのある人は多いと思います。
エリートには負けたくない
当時のエリート選手というと、巨人の高橋選手、中日の川上憲伸投手だと言います。西武だと、松坂投手もかなり注目を集めてましたし。
私も父と弟、三人で、大阪ドームに足を運んだことがありますが、人気過ぎて、球場に入れなかったことを覚えています。球場に入れた人は前日の夜から、あるいは、朝の早くから並ばれていて、チケットを購入したのだとか。(すごいな、思いましたが)
そういう選手とは裏腹に、雑草魂で、投球スタイルをマイナーチェンジし、スライダーを減らして、ナックルボールを封印、フォークの精度を上げ、新人記録15連勝を含む20勝に179奪三振、防御率2.09で投手3冠、新人王に加え、沢村賞にも輝いています。
何かと輝いた松坂投手ですが、数字の上では、上原投手のほうに分配が上がっているようです。
まとめ
・浪人を経験するも、プロの道を諦めずに邁進した結果として、巨人での実績、メジャーでの実績があったのかなと。大学時代はどちらかというと、下積時代だったのかなと感じました。
・エリートには負けたくない。華やかな選手が注目をされるも、雑草魂で、自主トレーニングに励んだり、制球を絞ったりと、今後のことを考えて、戦略を練った結果として、活躍されたのではないか?と感じました。
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